米山稔氏お別れの会、樋口久子氏「スポーツ界ですごい貢献だった」

 昨年11月に老衰のため亡くなった大手スポーツ用品メーカー、ヨネックスの創業者、米山稔氏(享年95)のお別れの会が31日、東京・千代田区の帝国ホテルで開かれた。ゴルフ界からは倉本昌弘(64)=フリー、樋口久子氏(74)、石川遼(28)=CASIO=らが出席し、故人をしのんだ。

 1946年に「米山製作所」として創業したヨネックスはバドミントンやテニスなどの製品で地位を築くと、82年にはゴルフ事業に参入。樋口氏は「すごく思い出がある」といい、国内女子ツアーの「ヨネックスレディス」にまつわるエピソードを明かした。92年度のツアー日程発表後に大会が急遽(きゅうきょ)中止になり調整に苦労していたところ、翌年度から開催予定だったこの大会が前倒しとなり救われたという。「キーパーになって歩き回ってコースコンディションを整えていただいた。スポーツ界ですごい貢献だった」と振り返った。

 小学6年から21歳まで用具契約を結んでいた石川は「世界に飛び込むときにサポートしてもらえて、感謝の気持ちしかない」と語った。