奥原希望が劣勢から手に入れた新スタイル。 攻守融合の変化で勝利を飾った

奥原希望が劣勢から手に入れた新スタイル。 攻守融合の変化で勝利を飾った

東京五輪&パラリンピック注目アスリート「覚醒の時」第2回 バドミントン・奥原希望BWFワールドツアーファイナルズ(2018年)

【写真】「追いつ追われつ」の山口茜と奥原希望。ふたりの対戦は絶妙で面白い

 アスリートの「覚醒の時」----。

 それはアスリート本人でも明確には認識できないものかもしれない。

 ただ、その選手に注目し、取材してきた者だからこそ「この時、持っている才能が大きく花開いた」と言える試合や場面に遭遇することがある。

 東京五輪での活躍が期待されるアスリートたちにとって、そのタイミングは果たしていつだったのか......。筆者が思う「その時」を紹介していく----。

 異なる強さを身につけて、2度目の五輪に挑む。2016年リオデジャネイロ五輪で獲得した銅メダルから、2021年東京五輪の金メダルへとステップアップを狙うバドミントン女子シングルスの奥原希望(太陽ホールディングス)は、自身の確実な成長を感じ取っている。

 今年3月の全英オープンはベスト4だったが、1年前との違いについて奥原は、こう話した。

「(昨年と同じ相手に敗戦したが)昨年に比べると、悪くないと思います。(攻撃を)仕掛けるタイミングは正しくても、相手を見ることができずにカウンターを受ける場面があったのですが、昨年は試合中にはそれに気づけませんでした。今は、試合中にわかって、1ゲームから2ゲームにかけて修正ができるようになっているので、そこはよくなっているところだと思います」

 持ち味である守備力に、攻撃力を付け加え、その使い方をマスターしつつある。その成長過程の背景には、これまでのキャリアがある。そこには、世界の頂点に立った輝かしい瞬間もあれば、悲鳴をあげる身体とうまくつき合えず、試合の棄権がつづいて悔し涙を流した日々もあった。世界のトップ選手と戦うようになったばかりの頃は、守備のイメージが強かった。どれだけ相手に振り回されても、コートに落ちる寸前の羽根に食らいつく姿は、一度見れば間違いなく印象に残る選手だった。17年の世界選手権では、女子シングルスで日本人初となる優勝を飾り、世界の頂点に立った。

 スコットランドのグラスゴーで開催されたこの大会の決勝戦は、壮絶だった。179cmの長身を誇るプサルラ・V.シンドゥ(インド)との戦いは、いずれのゲームも終盤までもつれる接戦。21-19、20-22、22-20の2-1で制した試合に要した時間は、一般的な試合の2倍に相当する1時間50分。高い打点から強打を打ち下ろすシンドゥに、奥原がフットワークで食らいついて上回った。

 しかし、順調に勝利を積み上げる一方で、身体が悲鳴をあげるようにもなっていた。17年9月のヨネックスジャパンオープンは、決勝戦まで勝ち上がったが、右ヒザの負傷で棄権。以降の国際大会も欠場がつづき、同年の全日本総合選手権も初戦の開始直後に棄権した。

 奥原は13年と15年にヒザを痛めて手術している。フットワークが持ち味ではあるが、世界のトップレベルで駆使しつづけると、古傷の状態が悪化するというジレンマのなか、ヒザの負担を軽減するプレースタイルと環境を求めるようになった。

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