目指すはソフトテニス界の本田圭佑 船水雄太がプロに転向した理由

引用元:FRIDAY
目指すはソフトテニス界の本田圭佑 船水雄太がプロに転向した理由

「ソフトテニス界の本田圭佑になりたい」

今年4月に史上2人目のプロプレーヤーとなった26歳の言葉である。野心をみなぎらせるアスリートの名前は船水雄太。昨年9月、フライデーデジタルで”プロ1号”として紹介した船水颯人の兄だ。日本リーグで10連覇している実業団のNTT西日本を2月に円満退社。現在、ミズノとブランドアンバサダーの契約を結んでいるものの、収入源をスポンサーだけに頼るのではなく、新しい道を切り拓くという。

「ソフトテニス1本で生活する」。国内初のプロ、船水颯人の野望

「弟のハヤト(颯人)と同じように見えますが、僕の目指しているプロは少し違います。パートナー(スポンサー)の支援だけではなく、ソフトテニスでお金を生み出す仕組みをつくっていきます。根本から変えたいんです。誰でもプロを目指せる道筋を残したい。自ら法人を立ち上げたのもそのためです。起業家としての顔を持つサッカーの本田選手のようなプロアスリートを目指しています」

独立するときに東北高校の先輩である現カンボジア代表ヘッドコーチの荻原雅斗とともにAAS Management inc(エースマネジメント)という会社を立ち上げた。現役選手として試合に出場しながら、技術や戦術の指導を行うアカデミー、オンラインでのスクール、そのほかの講習会、選手のマネジメント業務など、ソフトテニスに特化した事業を行っている。

しかし、今回のコロナ禍で出場を予定していた公式戦はことごとく中止となり、いま稼働している事業はオンライン関連のみ。いきなり苦境を立たされているが、本人は前向きだ。

「逆境をプラスにとらえています。選手としては、実業団から休みなしで働いてきたので蓄積した疲労を抜くことができました。外出自粛期間はこれまでの映像を見直し、体の動かし方なども再確認できましたから。事業のほうは、オンラインのスクールが幸いにも盛況です。今後はアカデミー、スクールもないと厳しいですが、コロナ禍でコートに立てない小中高生たちのモチベーションを上げるのも僕の役目。人に支えられ、安全あってのスポーツです。僕は似たような経験を一度しているので……」

9年前の光景が蘇る。宮城県の東北高校3年時に東日本大震災に遭い、練習もまともにできない日が続いた。春の全国高校選抜大会は中止となり、インターハイも制限があるなかでプレーした。

「苦しいのは一人ではないです。こういう状況のときこそ、みんなで乗り越えていかないといけない」

プロ1年目から苦難が続くものの、表情は明るい。NTT西日本における大卒20代の年収は400万円から600万円程度(推定)。その安定した社員選手の地位を捨てたのも、覚悟の上。社会人4年目の夏、1年早くプロとなった弟の姿を見て、自らの競技人生を見つめ直した。次ページは:弟へのライバル心

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