タカマツが歩んだ13年と偉大な功績。“余った”2人が世界で一番になった。

引用元:Number Web
タカマツが歩んだ13年と偉大な功績。“余った”2人が世界で一番になった。

「“いいバドミントン人生だったな”と思えるように、最後までしっかりと頑張っていきたいです」

【秘蔵写真】タカマツ、リオ五輪金メダルの軌跡…13年間の功績を振り返る!

 昨年11月のバドミントンの全日本総合選手権女子ダブルス準決勝で永原和可那、松本麻佑ペアに敗れた後、報道陣から「ここから何を目指して戦っていくのか」と尋ねられると、高橋は声を振り絞りながらこう答えていた。そして、ペアを組む松友美佐紀もまた「最後の最後まで2人で、後悔しないように」と前を向いていた。

“タカマツ”は東京五輪の出場最大2枠をめぐって、世界ランキング日本人上位につけていた福島由紀・廣田彩花ペア、永原・松本ペアを追って、“世界で最も熾烈”と言われる日本の女子ダブルスのオリンピック出場枠をかけた争いに果敢に挑んでいた。

自粛期間で考えた「引き際」。

 しかし、今年3月の全英オープン後に新型コロナウイルス感染の影響でワールドツアーは中断(再開は10月以降の予定)。同月24日には東京五輪の延期が決定した。

「東京オリンピックに出場できてもできなくても、選考レースまではしっかりと戦おうと考えていました。でも、全英オープン後に(ワールドツアーが)中断し、帰国後、東京オリンピックが延期になったとき、あと1年、自分の気持ちと体が持つのかなという気持ちがありました。また、オリンピック選考レースの再開も来年1月となり、自分のなかでも“どうしよう”とすごく悩みました」

 試合はおろか、練習さえもできない約2カ月の自粛期間中は自身と向き合う時間が多かったという。毎日「どうしよう」「いつやめよう」と考えるようになった。その中で次第に高橋礼華は現役引退の決意が固まったと明かす。 

「気持ちを継続できるか不安でした」

 もちろん、やろうと思えばまだできる。体力的にも精神的にもまだ限界には達していない。それでも引退を決断したのは、自身が決めたことはとことん貫くという性格ゆえに、覚悟を持って戦いに臨めるのか、そこに確固たる自信が持てなかったからだ。

「あと1年モチベーションを保ち続けられるのか、来年、いいパフォーマンスが出せるのか不安でした。自分のなかでやると決めた以上は、(目指すものは)金メダル以上のものはなかったので。そこであと1年と考えたときに気持ちを継続できるか不安でした。もともと中途半端なことが嫌で、練習や気持ちの持って行き方など、それが少しずれるだけでも、私の中では違うなって思ってしまうので」

 だからこそ、東京五輪を前に現役を退くことにはなったが、「ここでやめることに悔いはない」ときっぱり言い切る。「もうちょっと応援したかったなと言ってくださる方もいると思うのですが、これまでたくさんの方々に応援していただいて、すごく幸せな現役生活だったなと思います」次ページは:鮮明に記憶されるリオ五輪の激闘。

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