東京五輪開催危ぶまれる中、スポンサーの思いに迫る

引用元:日刊スポーツ
東京五輪開催危ぶまれる中、スポンサーの思いに迫る

新型コロナウイルス感染拡大による東京オリンピック(五輪)・パラリンピックの1年延期は、大会を支援するスポンサーや選手の所属先なども直撃した。東京スカイツリーの運営会社「東武タワースカイツリー」(本社・東京都墨田区)は今年7月、大会組織委員会と延期決定後初となるオフィシャルサポーター契約を締結。今も大会の開催が危ぶまれている中、なぜ新規スポンサーになったのか。背景に迫った。

高さ634メートルの世界一のタワーが、大会の成功を願って動いた。今月2日から天望デッキに五輪までの残り日数が表示されたカウントダウンが再び始まった。隅田川沿いにいた人々は足を止め、幻想的に輝く東京のシンボルを見上げた。

東武タワースカイツリーは今年7月、大会の新規スポンサーになったと発表した。同社営業企画部の小杉真名美課長(44)は「五輪はスポーツだけでなく、平和の祭典でもある。コロナ収束後の明るい未来を信じて、日本だけでなく、世界中の方々の心に『復興の灯火(ともしび)』をともすことが弊社の役目だと考えた」と説明。昨秋ごろから検討、最終決断は今年3月末の延期決定後だという。開業約1年前の11年3月。東日本大震災で東京スカイツリーが「復興の象徴」として、多くの方に活力を与えたことも一因となった。当時建設途中で、中央部に設置された制振システムの心柱が機能しない状態であったにもかかわらず、震度5弱の激しい揺れに耐えた。コロナ禍で苦しい状況が続く中、窮地の時こそ貢献するとの責任感もあった。

同社は五輪に向け、インバウンド(訪日外国人客)需要の強化や照明の増設など万全の態勢を整えてきた。パンフレットは17カ国語に翻訳してHPに公開し、スタッフ約600人のうち約200人が英語や中国語、韓国語などに対応。来場者に占める外国人の割合は、13年度が6・8%に対して19年度は28・9%と増加傾向で、今夏にはさらに増えることが期待されていた。さらに347台のライティング用照明の増設工事も終え、既存と合わせて計2362台に。タワー全体が輝くようになり、塔頂部は約20キロ離れた羽田空港からも見えるようになった。祭りの旗をイメージした「幟(のぼり)」など3種類のライティングに動きのある演出も加え、世界中の人々を歓迎する予定だった。

しかし、コロナ禍で状況は一変。政府の緊急事態宣言を受け、3~5月末まで臨時休業を余儀なくされた。この期間は「世界が一丸となってコロナに打ち勝とう」との思いを込め、地球をイメージした青の特別ライティングを点灯。5月に予定していた開業以来初めて刷新するスタッフの新制服の着用も、10月からに変更した。

感染症対策を施して営業再開したが、厳しい入国制限や外出自粛などで来場者は激減。経営を直撃した。小杉さんは「海外だけでなく、国内でも地方から東京に来てもらうのはハードルがある。先は見えないが、観光地としての踏ん張りどころ」と受け止め、タワーの魅力を国内外に伝える新たな策を模索する。

開業から8年が経過。過去の五輪・パラリンピックでも協力してきたが、東京開催は特別だ。小杉さんは言う。「光には不思議な力がある。夜のスカイツリーのライティングを見て、1人でも多くの方が夜空を見上げ、前を向いてくれたら良い。それが1年後や平和につながると信じている」。世界一のタワーは、東京のシンボルとして使命感に満ちている。【峯岸佑樹】

◆東武タワースカイツリー 東京スカイツリーを管理・運営するため06年5月に設立。観光事業と各テレビ局の地上デジタル電波を送信する電波塔事業が主体。11年11月に東京スカイツリーが「世界一高いタワー」としてギネス世界記録に認定された。来場者は年間400万人以上。資本金は172億2500万円。岩瀬豊会長兼社長。従業員171人(4月現在)。

◆大会組織委員会の森喜朗会長 コロナ禍を乗り越えた人類の団結と共生の象徴として、厳しい試練に打ちかつ希望を表すように思える。東武タワースカイツリーとともに協力しながら、くじけることなく前を向いて、新たな目標の実現を目指したい。

◆東京スカイツリーはパワースポット!? タワーが立つ場所は「レイライン」と呼ばれる富士山と鹿島神宮をつなぐ直線上にある。その線上には、皇居(江戸城)や明治神宮なども並ぶ。同社ではパワースポット企画を検討中で、願いがかなう新たな“都心の聖地”として来場者を呼び込みたい考えだ。また、東武鉄道は6月に東武スカイツリーラインのとうきょうスカイツリー駅と浅草駅間の高架下に複合商業施設「東京ミズマチ」を開業した。2つの観光名所を徒歩で回遊できるように整備し、両エリア全体のにぎわい創出策として期待されている。

バドミントン女子日本代表の奥原希望(25)は19年1月にプロ転向を表明した。金銭面での支援を続ける太陽ホールディングスは今年6月、東京五輪延期を受け、12月までだった奥原との契約の1年延長を決めた。

コロナ禍でアスリートへの支援を打ち切る企業もある中、契約を半年残した状況で継続を決定。同社広報の難波由美子さんは「延期が決まった時に(奥原が)心配になるかなと。少しでも安心して挑んでもらいたくて。会社内での認識はみな同じだった」と自ら上司を通して社長に持ち掛けた。奥原は「世の中もスポーツの世界も先が見えない中ですが、サポートしていただけることに感謝しています」と喜びを語っている。

自社の精神と同じ、世界一を目指す志を持つ奥原の“加入”で社員の士気が高まった。難波さんもその1人で、競技に打ち込む情熱に引き込まれた。履歴書の趣味の欄にバドミントンと書く入社志望者が増え、CMを流すと問い合わせもあった。社内向けのバドミントンのイベントを開催すると「奥原を一目見たい」と参加する人も。競技に関心を持つ人も増え、社員の交流も深まったという。

奥原は今年5月の全社員向け発表会でエールを送った。25歳ながら世界を見据え、夢や目標をはっきりと話す姿は、同世代の若手社員だけでなく「あの年齢で自信を持って言えるのがすごい」と役員たちの心にも刺さった。海外の拠点も多い同社では、奥原の知名度のある台湾や東南アジアでも盛り上がりを見せている。難波さんは「今までなかった人から連絡が来たり、サインが欲しいと言われたり。熱い思いが響いたと思う」と手応えを口にする。

東京五輪に向けては、全社をあげて応援する。1月からメンバーを社内向けに募集し「チームNOZOMI」を立ち上げた。現在国内だけで70人がエントリー。延期となり、具体的なものは決まっていないが、いずれは海外まで広げ、グッズ製作、壮行会などを検討中だ。

9年前に就任した佐藤社長のモットーは「自律型人間になろう」。人材育成への投資は惜しまない。奥原に対しても同じだ。難波さんは「契約をずっとしていきたいというのが担当としての思い。奥原選手の挑戦を一緒に実現できたら」と語る。「SNSなどでいろいろ発信して、多くの人に伝えようとしている。我々も前向きになれるので頑張ってほしい。自分たちも一緒に楽しめたらと」。コロナ禍にあって、選手も企業もプラスになっている。【松熊洋介】

◆太陽ホールディングス株式会社 1953年(昭28)9月、印刷インキと関連資材製品の製造販売を事業目的とする「太陽インキ製造株式会社」として設立。携帯やパソコンなどのIT機器やデジタル家電などに利用されるプリント配線板(PWD)用部材の製造販売や、医療用医薬品の製造販売などを行う。資本金94億9984万円。従業員1988人、佐藤英志社長。

来夏の東京五輪出場を目指すビーチバレーボール男子の清水啓輔(33=フリー)は、活動費を確保するためスポンサー探しに奔走している。日本バレーボール協会が選ぶ強化指定選手(4組計8人)の1人。今春からペアを組む村上斉(31=ADI・G)と開催国枠(男女各1チーム)を争う代表決定戦出場へ準備してきたが、五輪延期に伴い中止に。2月に所属先を退社した影響で収入が乏しく、貯金を切り崩した競技活動を余儀なくされている。

清水によると、ビーチバレーボール界では練習拠点や遠征時の宿泊先を自力で確保するケースがほとんど。自身は強化指定選手に選ばれているため、NTC(ナショナルトレーニングセンター)競技別強化拠点の神奈川・川崎マリエンを優先的に利用できる。ただ、競技に集中するため、スポンサー先からの援助が必要だ。プレゼン資料を抱えて企業回りをすることが欠かせない。

スポンサー料金(1シーズン200万円、100万円、50万円)に応じ、協賛プランを細かく設定している。ロゴ入りユニホームの着用など具体例を示し、実際にどんな効果が期待できるかを伝えている。昨シーズンまで所属していた都内の福祉法人から受け取っていた400万円余りと、個人・企業から計約60万円を活動費に捻出していた。練習着や飲料水など物品の提供も受けていた。

しかし、所属先を退社したことで状況は一変。当時は一緒にプレーする選手がなかなか見つからず、5月の五輪代表決定戦出場すら危うい状況だった。「所属先に支えてもらってきたのに、チームすら作れない状況に申し訳なくて…」と自ら退社を申し出た。

現在は200万円余りの貯金を切り崩して競技を続ける。コロナ前の契約スポンサーは全てつなぎとめているが、支援の規模は縮小傾向。遠征自体がないので出費は抑えられているが「大会が開催されるようになれば、活動費が増えていきます」と不安を抱える。

苦しい状況でも練習に集中できるのは、支えてくれる人たちへの恩返しがしたいからだ。「フルタイムで働く妻から『なんとかならなかったら、私がなんとかするよ』と言われました。お世話になっているスポンサーの方々のためにも、五輪の舞台に立ちたいです」。周囲の期待を糧に奮闘する33歳は、きょうもトレーニングに打ち込んでいる。【平山連】

◆清水啓輔(しみず・けいすけ)1987年(昭62)9月5日生まれ、愛知県岡崎市出身。小学生の頃からバレーボールをしていたが、大学3年時にビーチバレーへ転向。競技開始4年で国内最高峰の日本ツアーで優勝後、18年に男子代表としてアジア大会に出場。身長175センチと小柄ながら、スピードを生かした守備と多彩な攻撃が魅力。始めたきっかけは「海が呼んでいた」から。