タカマツの高橋礼華さん、金メダルまでの道のりを振り返る

タカマツの高橋礼華さん、金メダルまでの道のりを振り返る

 かつて日本ではマイナー競技だったバドミントンの知名度を、先頭に立って引き上げたのは女子ダブルスに他ならない。五輪での日本勢初メダル、初の金メダル獲得はいずれもこの種目だった。オグシオ、スエマエ、フジカキ……。4文字の愛称でおなじみの“女ダブ”が、なぜここまで強くなったのか。「タカマツ」ペアで2016年リオデジャネイロ五輪金メダルに輝いた高橋礼華(あやか)さん(30)に聞いた。

【写真】3月の全英オープンで優勝するなど、力をつけた福島由紀、広田彩花(左)組

 のちの金メダリストが気後れするほどの緊張感が、コートの上に漂っていた。

 09年、完成してまだ1年のナショナルトレーニングセンター(NTC)。当時高校生だった高橋さんは、ペアを組む松友美佐紀(現日本ユニシス)とともに初めて日本代表の練習に参加したときのことを覚えている。

 目の前には、08年北京五輪で4位入賞した「スエマエ」ペアの末綱聡子、前田美順組がいた。テレビで見ていた憧れの存在はとにかく、レシーブが正確で、練習でもミスをしなかった。12年ロンドン五輪で日本勢初のメダルとなる銀メダルを手にする藤井瑞希、垣岩令佳組も汗を流していた。「みんなが集中しているから自分たちもミスができない。先輩がピリッとした空気感でいるからこそ、自分たちもそうしなきゃと思った」

■好循環のリレー

 高橋さんの頭をよぎった思いを、日本代表の朴柱奉(パクジュボン)監督は「リレーみたいなもの」と例える。一緒に練習している先輩が五輪で活躍する。その姿を見て、自分たちもできる、と発奮する好循環のことだ。

 タカマツペアが世界的には無名な時期から、代表のコーチには「次は君たちの番だ」と声をかけられていた。高橋さんは言う。「ロンドン五輪で先輩たちが銀メダルをとったときに、自然と『次は自分たちが金をとる』と思えた」。日本のトップになれば世界で勝てるという自信も高橋さんたちの背中を押し、16年リオデジャネイロ五輪での金メダルへと結実した。

 タカマツペアの活躍が、日本のバドミントンを取り巻く環境を劇的に変えた。東京五輪への期待感も加わり、リオ五輪以降、自動車大手のダイハツなど新たに4社がスポンサー契約。スポーツ庁の予算区分も、柔道や空手など5競技しかなく、金メダル量産が期待される最上位のSランクになった。日本バドミントン協会の予算のうち、リオ五輪があった16年度に3億4千万円だった競技力向上費が昨年度には7億7千万円を超えた。

 「10年近く前に比べたら、今はぜいたく」と高橋さん。かつて海外遠征で代表チームに同行していたトレーナーは1人だけ。順番が回ってこず、ケアを受けられない日もあった。それが今や、トップ選手には個人トレーナーが付き添う時代に。世界選手権や合宿にも調理師が同行し、選手たちは試合後すぐにおにぎりを食べたり、体重管理などそれぞれの選手に合わせた栄養面のサポートを受けられるようになった。朝日新聞社