引用元:4years.
私、M高史と同じく学生時代にマネージャーで、その後も輝いている方にスポットを当てたシリーズです。
今回は早稲田大学の主務だった丸尾祐矢さん(33)。早稲田大学では北京オリンピック日本代表の竹澤健介さんと同級生でした。卒業後はエスビー食品陸上部のスタッフ、松山大学の講師を経て、2017年から東京女子体育大学の長距離コーチをされています。指導者として新たな道に挑んでいる丸尾さんに、2月上旬に取材してきました。早稲田大学にあこがれて丸尾さんは愛知県出身。小学6年生のとき陸上を始めました。「走幅跳をやっていましたね。1000mとか長いのも得意でした」
岩津中学でも陸上部。800m2分1秒、3000m8分54秒がベストで、ジュニアオリンピックにも出場するほどの実績でした。当時から早稲田大学への思いがあったそうです。「エンジのWにあこがれていました」と振り返る丸尾さん。勉強にも力を入れていました。
高校は愛知県屈指の進学校、愛知県立岡崎高校へ進みます。高校時代の自己ベストは5000m14分56秒。駅伝では3年生のとき県大会で4位になったのが最高でした。
「進学校でクラスメイトは勉強、勉強でしたが、自分は走ってばかりでちょっと浮いていましたね(笑)」。走ってばかりと謙遜される丸尾さんですが、センター試験と競技成績によるセンター利用試験であこがれだった早稲田大学に合格します。苦悩の末、マネージャーに転向早稲田大学に入学した丸尾さん。当時はOBの渡辺康幸さん(現・住友電工陸上部監督)が監督を務めていました。最初は(当時の)寮に入ることができず、所沢キャンパスの近くで1人暮らし。「受験勉強をしていたため体重が増え、故障と貧血ばかりで全然走れませんでした」と言います。入学してから夏まで、まったく走れない日々が続きます。
「高い目標があって入ったのに走れないもどかしさがありました。早稲田大学競走部にどうしたら貢献できるのか。このまま故障したり伸びないまま、4年間チームに貢献できずに過ごすのか」という葛藤がありました。
「自分の力を出せる場所は何なのか」「逃げではなく自分としてできることは組織のために動けることではないのか」。自問自答の日々が続きます。「早稲田大学に入るまで、陸上競技のこと真剣に考えていなかったのかもしれない」という表現をされました。
「それまで、まわりに対する感謝が足りていなかったと思います。陸上は個人競技ですが、組織の中でやる陸上のありがたみ、大切さを学びました。自分が『選手をやりたい、やりたい』という気持ちを通すのは早稲田のためにならないかもしれない。選手で役に立たないのであれば、マネージャーとして組織の役に立てるのではないか、マネージャーになるからには『逃げた』と思われないよう、覚悟をもってやろう」
丸尾さんは決意を固め、1年生の夏にはマネージャーに転向することになりました。
苦悩や葛藤がありましたが、「コーチや先輩、同学年にも助けられました」と、周囲の方への感謝も口にされました。