澤井芳信氏「スポーツ人口増やす」ビジネスの立場から見る“ポスト・コロナ”の展望

澤井芳信氏「スポーツ人口増やす」ビジネスの立場から見る“ポスト・コロナ”の展望

 “松坂世代”が活躍した1998年の夏の甲子園で準優勝した京都成章高の主将で、現在はスポーツマネジメント会社「スポーツバックス」を経営する澤井芳信氏(39)がデイリースポーツの電話取材に応じ、コロナ禍でこうちゃくするスポーツ界について語った。米大リーグ、巨人で活躍した上原浩治氏、広島・鈴木誠也外野手、新体操の五輪2大会連続日本代表でスポーツキャスターの畠山愛理らをマネジメントする同氏に、ビジネスの立場から“ポスト・コロナ”の展望を聞いた。

【写真】決勝戦で横浜・松坂と対戦した京都成章・澤井=1998年8月22日

 -新型コロナウイルスの感染拡大が及ぼす影響でスポーツビジネスも大打撃を受けた。

 「日常だと思っていたものが、できなくなるんだとアスリートは身をもって知りました。プロはお金を稼がせてもらえず、収束のメドも見えない。鈴木誠也選手もこの時期に野球ができないのは初めてで戸惑っています。マネジメントの立場から見れば、僕の会社でも何十件も案件がキャンセルになり、1日で3、400万円分がなくなった日もあります」

 -このような状況で、スポーツの存在意義をどう考えるのか。

 「現在必要なものは健康と衣食住。スポーツや文化とは何かという価値を見いだすのは次のステップでしょう。いつか必要とされる時がくる。アクションを起こすのはその時です。スポーツの価値は人を熱中させること。選手は復活する時にみなさんに勇気を与えられるように、今はパワーをためておいてほしい」

 -プロ野球選手会など社会貢献を行う団体や個人も多い。

 「僕自身も寄付したり、会社としても今回、休校で給食がなくなったことで(利用者が増えた)フードバンクへの食料支援や、医療機関へマスクの寄付などを行いました。一方で悩んだところでもあります。社会的にやらなきゃいけないことと、会社としてやらなきゃいけないことが僕の中でごちゃ混ぜになってしまった。本質は、コロナが落ち着いた後に、会社としてしっかりやっていくことだと考えました」

 -消極的にならずに前向きに捉えた。

 「(コロナの影響で)興行として疲弊してしまっては、みなさんに元気を与えることができなくなる。ピンチをチャンスだと捉えているところもあります。オンライン上で会えない人に会えたり、プロの技も見られたり、いろんなチャンスが生まれる。発信力が勝負になります」

 -活動できなくなったアスリートが動画配信などを続けている。

 「影響力がある選手の発信力は大切。いろんなアクションを起こさないと、食べていくのが苦しくなっている人もいます。ただ、みんながSNSやYouTubeを“やらなきゃいけない症候群”のようになるのは少し違うかなと。今の流れに乗るだけでなく、本質を見失わないようにしたいと思います」

 -東京五輪に関わる元アスリートも所属するが、延期について。

 「五輪需要の恩恵はもちろん受けていますし、うちに所属する人たちにはぜひ関わってもらいたい。ただ、僕は以前から東京五輪がメインではないとも考えていました。五輪だけに注力するだけでなく、その後を考えないといけない」

 -コロナ後、そして五輪後のためにも、土台づくりが重要だ。

 「米国では近年、野球人口が増えたという調査があります。これは、MLB関連の事業で15年から始まった『プレーボール』というプログラムが奏功しているという話です。選手が子供たちに野球を教える時に、例えば下手で投げてホームランを打たせて遠くへ飛ばす喜び、速い球を投げる喜びを体験させるもの。野球は楽しいということを教える。スポーツの楽しさを教えることがこれからさらに重要になってくると思います。野球だけではなく、スポーツ人口を増やしていかないといけない」

 -その取り組みは。

 「(男子バレーボール元日本代表)山本隆弘さんの企画で、卓球の平野早矢香さん、サッカーの岡野雅行さん、バスケットの大山妙子さんに来ていただいたイベントで、小学生にバレー、卓球、サッカー、バスケとすべての競技を体験してもらいました。それだけたくさんの競技をすべてトップ選手に教えてもらえるのは貴重な経験です。別の回ではラグビーの大畑大介さんやバドミントンの池田信太郎さんに協力いただきました」

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 ◆澤井芳信(さわい・よしのぶ)1980年10月26日、京都市出身。京都成章高では「1番・遊撃」の主将として98年に春夏連続で甲子園に出場。夏は松坂大輔擁する横浜と決勝で対戦し、無安打無得点で敗れて準優勝。同大から社会人野球「かずさマジック」(元新日鉄君津)に入り、4年間の現役生活を経て引退。その後、スポーツマネジメントの会社で経験を積み、2013年に(株)スポーツバックスを設立した。14年に早大大学院スポーツ科学研究科修士課程を修了。