バドミントン「ソノカム」嘉村健士の素顔 狭い座敷で生まれた「千手観音」

バドミントン「ソノカム」嘉村健士の素顔 狭い座敷で生まれた「千手観音」

 バドミントン男子ダブルスで東京五輪代表の有力候補となっている嘉村健士(トナミ運輸)は幼少時代、病弱で小柄な甘えん坊だった。バドミントン好きな父泰博(57)と母律子(57)の“特訓”で持ち味の敏しょう性を磨き、ダブルスで開花。「ソノカム」として高校時代からペアを組む園田啓悟(トナミ運輸)との二人三脚で悲願の五輪切符に手が届く存在までに飛躍を遂げた。(末継智章) (文中敬称略)

【画像】嘉村健士のタイムライン

 健士にとってバドミントンのコートは物心が付く前から“庭”だった。1990年2月に誕生。結婚前からバドミントンに打ち込んでいた泰博と律子は、2人が通う佐賀県唐津市内のクラブチームに生後間もない息子を連れていっていた。

 泰博「私たちがプレーするときは健士を籠に入れ、仲間に見てもらった。健士は始めたのは小学2年生と言うが、実際はもっと前からラケットを握り、家でも庭先にひもを張ってネット代わりにして遊んでいた」

 翌91年11月に弟の昌俊が生まれると、必ず家族4人で遊んだ。魚釣りや野球、海水浴…。体を動かすのが好きな一家だが、健士は小児ぜんそくに悩まされた。

 律子「幼稚園から小学低学年まで症状が出て、夜中に救急病院に連れていったこともあった。健康のために幼稚園から水泳をさせたけど、辞めたいと嫌がった」

 一方でバドミントンへの関心は高まる。小学2年生の時、両親のバドミントン仲間でもある円城寺文雄が率いる小中学生対象のクラブ「七山モンキーズ」(旧佐賀県七山村、現唐津市)に入った。週3、4日、放課後や休日に車で練習場の七山中体育館まで送るのが律子の役目だった。

 律子「車の中でずっと寝ているのに、到着する直前にぱっと起きる。行かなかった日はなかった」

 ラケットさばきのうまさから県内上位に食い込めたが、小食が影響したのか背がなかなか伸びない。シングルスでは同じ学年で2017年に全日本総合選手権を制した佐賀市出身の武下利一(現龍谷大コーチ)に勝てなかった。

 泰博「武下君は大柄。体格で劣るのに、健士は無理をしてスタミナがなくなるぐらいまでジャンピングスマッシュを打っていた。一度も勝てず、粘るために体格に合った技術を学んだ」

 その技術の一つがネット際に打ち返すヘアピンショット。帰宅後に“特訓”することもあった。

 泰博「折りたたみ式のネットを居間の座敷に張り、妻が投げたシャトルをネット際に打ち返していた。たまに障子を破ることもあったけど、狭いところで練習したからラケットさばきがよくなったのでは」