「限界を超えれば、次の限界が見える」 宮崎大輔が高校生に授けた“明日を生きる力”

引用元:THE ANSWER
「限界を超えれば、次の限界が見える」 宮崎大輔が高校生に授けた“明日を生きる力”

 ハンドボール日本代表の宮崎大輔(日体大)が28日に配信された「オンラインエール授業」に登場した。「インハイ.tv」と全国高体連が「明日へのエールプロジェクト」の一環として展開する企画に登場した39歳のトップ選手は、インターハイ中止という経験から前を向く全国のハンドボール部を対象に授業を行い、“明日を生きる力”を授けた。

 宮崎が登場した「オンラインエール授業」はインターハイ実施30競技の部活に励む高校生をトップ選手らが激励し、「いまとこれから」を話し合おうという企画。ボクシングの村田諒太、バドミントンの福島由紀と廣田彩花、バレーボールの大山加奈さん、サッカーの仲川輝人、佐々木則夫さんら、現役、OBのアスリートが各部活の生徒たちを対象に講師を務めてきた。

 第19回に登場したのが、ハンドボール界の第一人者だ。大分の大分電波高出身の宮崎。冒頭で明かしたのは「39年の人生で一番キツかった」という高校3年間の思い出だった。当時は午前7時から練習を行い、8時から午後3時15分まで授業。3時30分から始まる練習は最短で9時、最長で日付を越えて午前1時になることもあった。「それが364日でしたから」と苦笑いで振り返る。

「全国優勝したい。そこに向けて頑張っていたから、辞めることなく3年間続けられた」。血の滲むような練習で才能を磨いた宮崎は3年夏のインターハイで得点王となるなど、目標だった日本一も達成した。当時は高校でハンドボールを引退し、「家庭を助けなきゃいけない」と就職を考えていたが、日体大の誘いがあって翻意。母の後押しもあり、競技を続けることを決めた。

 以来、輝かしいキャリアを築いてきた。進学後は2年連続大学日本一を経験。在学中に強豪スペインに留学し、帰国後は日本リーグの大崎電器で長年活躍した。最高殊勲選手賞、ベストセブン賞6度、得点王4度など数々のタイトルを獲得。一時は再びスペインに移籍し、押しも押されもしないハンドボール界のスターとなったが、高校時代の経験が礎になっている。

「あの時のキツさに比べたら、今は何でもできてしまう。それくらいキツかった。だから今、皆さんもいろいろとやった方がいいと思う。そういう経験が後々に生きてくるから。僕もあの時にやっていた走り込み、シュート、それにジャンプ力は高校時代が一番高くて(ベースとして)残っている。高校時代にやったことが生きてくるので、今やっていることを大切にしてほしい」

 日本リーグ前人未踏の900得点を記録している39歳にとっても、あの3年間は特別で忘れられないものだったという。次ページは:成長は発想次第、「ヒントは違う競技にある」の真意

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