バドミントン西本「これ以上ない待遇」変えた胸の内

引用元:日刊スポーツ
バドミントン西本「これ以上ない待遇」変えた胸の内

バドミントン男子シングルス日本代表の西本拳太(25=岐阜県バドミントン協会)が、日刊スポーツの取材に応じ、今年5月末でトナミ運輸を退社した経緯や、1年延期となった東京オリンピック(五輪)への思いなど、胸の内を明かした。

【写真】昨年の世界選手権でポイントを挙げガッツポーズの西本

中央大学卒業後、日本代表選手が多く所属するトナミ運輸に入社。「これ以上ない待遇」を脱し、あえて自分を追い込む環境に身を置いた。退社は昨秋ごろから考えていたという。

西本 もともとは東京五輪が終わってからという気持ちだった。自分の中ではこの時期に、というのがあって、昨年から監督などに相談していたし、1回言って引き下がるのもどうかと思って覚悟を決めた。

五輪が延期となったが、そのことが逆に決断を後押しした。目標があいまいになってきた中「次に何をするか決まっていた方がいいのかな。今しかない時に動くべきだと」と育ててくれたチームへの申し訳なさもあったが、退社を決断した。

トナミ運輸の荒木監督からは1度は止められたが、最終的に背中を押してくれた。園田は「自分の人生だし挑戦するのはいいこと」、嘉村も「自分でどんどん道を決めていくのは西本らしい」と気心知れた先輩たちも送り出してくれた。遠征先で同部屋の桃田には以前から話しており、退社の連絡をすると「西本が決めたことなら、新しいところでも頑張って」とエールをもらった。

昔から自分で決めて進んでいくタイプ。いずれは女子の奥原のようなプロへのあこがれもある。地元の三重県で活動していた時から自分のペースでやっていくスタイルだった。個人でという気持ちが強くなったのは16年の違法賭博問題の時。厳重注意処分を受け、代表から除外された。

西本 自分でやるしかないという気持ちを持った。それまでは誰かについていけばいいという感じだった。最後は自分で守るしかない。周りから言われることたくさんあると思うが、逆に成功すれば何も言われないと思う。

ライバルもいなくなる中「自分をしっかり磨きたい」と、女子のフクヒロペアら多くのトップ選手を輩出した丸杉Bluvicの今井監督の指導を受けようと岐阜に拠点を移した。

西本 数々の実績者を育ててきた熱い方。ふに落ちることが多く、当たり前のことを常々言ってくれる。こういう環境でやりたかったという気持ちがあった。

環境を変えることで、トナミ運輸時代の自分の甘えに気付き、五輪に対する捉え方も変わってきた。現在世界ランキング16位。出場権を獲得するには同僚だった11位の常山を超えなければならない。昨年5月からの選考レースは納得のいく結果ではないと自覚する。

西本 今思えば、一番いい環境から逃げていたというか。周りを見渡して、これくらいでいいんじゃないかというのがあった。五輪も出られたらいいという感じだった。岐阜に来て、より一層感じる。今はトップチームの環境じゃなくなって、応援してくれる方や家族に恩返しできるように五輪を見せてあげたい。

現在は練習量も増え、充実した毎日を送っている。

西本 後悔はない。不安は持ち続けた方が自分に厳しくできる。五輪が(予定通り)行われていたら、岐阜に行くことはなかった。そこはプラスには捉えている。より一層強くなった自分を見せられるように(五輪レースで)優勝を狙っていきたい。

西本は出場権争いの終わる来年5月、五輪出場を決め、決断が正しかったことを証明する。【松熊洋介】(ニッカンスポーツ・コム/スポーツコラム「WeLoveSports」)

◆西本拳太(にしもとけんた) 1994年(平6)8月30日、三重県生まれ。埼玉栄高から中央大学に進学。13年から全日本学生選手権3連覇。16年全日本総合優勝。卒業後17年にトナミ運輸に入社。20年5月に退社し、現在は岐阜県バドミントン協会所属。