パラバトミントンの若き世界女王。 里見紗李奈「応援は本当に力になる」

パラバトミントンの若き世界女王。 里見紗李奈「応援は本当に力になる」

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 来年の東京パラリンピック開幕まで、8月24日でちょうど一年になる。東京大会から採用されるパラバドミントンでシングルスとダブルスの"W金メダル獲得"を期待されているのが、里見紗李奈(NTT都市開発)だ。

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 18歳で交通事故に遭い、車いす生活になった里見は、2017年にパラバドミントンを始め、それからわずか3年で世界選手権を制するまでに成長した。「こんな人生、想像していなかった」と笑う里見にこれまでの競技人生を振り返ってもらい、今のステージへと導 いてくれた大切な人たちとのエピソードを聞いた。

 里見が事故に遭ったのは、高校3年だった2016年5月。脊髄に損傷を負い、両下肢に障害が残った。その日から今日に至るまで、彼女の心身を常にそばで支えているのが両親だ。

「後で聞いた話ですが、母は事故の一報を聞いてその場に座り込んじゃうくらいショックを受けたらしいです。それでも、毎日病院に顔を見せに来てくれて、痺れる脚を私が寝るまでさすってくれたり、食べたいものを買ってきてくれたり。毎日顔を合わせるのでちょっと喧嘩することもありましたが、甘えさせてくれたから9カ月間の入院生活を乗り越えられたんだと思います」

 父・敦さんもすぐに行動に移していた。娘の退院後を考え、自宅を大幅にリフォーム。扉はすべて引き戸に変え、車いすで移動できる昇降機を設置したり、浴室では床に降りずに湯船に浸かれるよう特注の椅子を用意したりした。「当時、実は父がリフォームを進めてくれていることを知らなくて。実際に見てみると、病院の先生が『すごい』というほどよく考えられていて、自宅でストレスなく生活できることがすごくうれしかったです」里見がパラバドミントンを始めたきっかけも、敦さんだ。中学時代にバドミントンをしていたこともあり、敦さんの勧めで地元・千葉の車いすバドミントンチーム「パシフィック」の練習を見学に行った。最初は敦さんのほうが熱心で、里見自身は「趣味としてできれば」と考えていたが、次第にチームメイトたちと過ごす時間に居心地のよさを感じるようになり、「気づいたら、週6とかで通っていましたね」と笑う。

 そして、このチームを設立し、率いていたのが、男子強化指定選手の村山浩。彼もまた、里見を競技の世界へと引っ張り上げてくれた人のひとりだ。里見は3年間のブランクがあるとはいえ、元バドミントン部。試しに村山と打ってみると、身体周りのショットは返球できた。だが、前後に揺さぶられると、まったく対応できなかった。片手でラケットを持ちながら車いすを操作し、ストップ&ゴーを繰り返すという作業は想像以上に難しく、同時に転倒の恐怖も思い知った。

 だが、村山はこう里見に声をかけたという。

「一緒に世界に行こう」

 パラリンピックに行けるかもしれない。そこから里見はシャトルを追うことに夢中になった。チェアワークのスキル、車いす使用のフォーム改造など、村山は里見を指導し続け、また少しずつ成長の階段をのぼる姿を常に見守ってくれた。

「それは今も変わっていません。大会の決勝前日は『大丈夫だよ』『一緒に金メダルをかけようね』とLINEでメッセージをくれたり、パラリンピックの延期が決まった時も『来年は絶対ふたりでパラに出ようね』って。村山選手は周りをよく見ているし、みんなに信頼されている。そんな村山選手が私の味方でいてくれることが、心の安定につながっていると思います」

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