孤独に耐え抜いた球児 「春になったら…」と信じ続けた

孤独に耐え抜いた球児 「春になったら…」と信じ続けた

 日が落ちたグラウンドで、金属バットの音だけが響く。フェンスまで100メートル。ぐんぐん伸びる打球。でも、そのボールを捕ってくれる人も、拾ってくれる人もいない。

【写真】津金重一監督(左から2人目)の指示を受ける野沢南の部員ら=2020年6月26日、佐久市、田中奏子撮影

 「なにやってんだろ、俺」

 野沢南(長野)の佐々木英慈(3年)はこの冬、ティーバッティングの打球の行方を目で追いながら思っていた。春まで、部員はたった1人だった。

 小学2年から野球を始めた。ポジションは捕手。試合の流れや打者の特徴をつかみながら、投手をリードするのがたまらなく楽しいと笑う。

 入部したときから同じ学年は1人。それでも1年の夏、部員はマネジャーを入れて16人いた。2年生の春に後輩が1人、入部してくれたけど、夏が終わるとやめてしまった。部員は自分だけになった。

 津金重一監督(56)と2人での練習が始まった。

 とにかくバットを振った。素振りは最低1日100回。それ以外にティーバッティングを40スイング。さらに、金属バットの倍の重さがある、2キロの鉄の棒を使って60スイング。愛媛県の強豪校、済美を参考に、野球ボールより小さいゴルフボールや、バドミントンのシャトルを打つこともあった。

 週6日の練習を1日も休んだことはない。でも、暗いグラウンドに1人でいるとき、凍えるような朝に自転車をこいでいるとき、ふと思う。なんで野球をやっているんだろうって。「正直言うと、やめたいと思ったことは何回もあるっす」

 そんな時は、何度もイメージした。春になったら、1年生が入ってきてくれる。自分は最上級生、主将になる。どうやって声をかけて、どうやってチームをまとめよう――。考えるとわくわくした。

 なにより、野球が好きだ。1年から続けてきた打撃練習の成果も出始め、練習試合でホームランを打てるようになっていた。自信がつくと楽しくなって、またバットを振った。

 甲子園という舞台を、夢見たことがないわけじゃない。でも、「俺は行けないって、わかってるから」。休校中、気がかりだったのは、甲子園が中止になったことよりも部員が集まるかどうかだった。

 昨夏は初めて体験入部もやった。4月の入学式が終わると、野球経験者に手紙を渡した。入ると言ってくれた数人が、やっぱりやめると言い出したら……。

 6月、野球部の発足式には、1年生4人の姿があった。「本当にうれしかったっす。泣きそうでした」。助っ人も集め、単独出場の願いがかなった。

 「カバー、カバー」

 「丁寧に!」

 グラウンドにはいま、何人もの大きな声が響く。外野を加えたシートノックもできる。

 最後まで残るのはいつも主将だ。倉庫を掃除し、部室を閉める。部員が増えても、1年生からの習慣は変わらない。「雑っていうのが嫌いなんです。血液型はO型なんですけど」

 もうすぐ、待ちに待った夏がやってくる。「一球一球、一つ一つのプレーを真剣に、丁寧にやる」。目標も変わらない。=敬称略朝日新聞社