桃田賢斗を震災後受け入れ、猪苗代ロッジで金への礎

引用元:日刊スポーツ
桃田賢斗を震災後受け入れ、猪苗代ロッジで金への礎

福島の思いも背負って金メダルへ-。マレーシアでの交通事故から練習復帰したバドミントン男子シングルス桃田賢斗(25=NTT東日本)は、11年3月11日、福島・富岡高1年時に東日本大震災で被災した。

【写真】復帰会見で笑顔を見せるバドミントンの桃田

転校する生徒もいる中、桃田は福島に残った。当時の恩師の本多裕樹監督(35=ふたば未来学園高)や猪苗代で生徒を受け入れたあるぱいんロッジの平山真オーナー(61)らが、桃田にエールを送った。

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震災後、生徒約30人を受け入れた平山さんは、当時の桃田について「卒業の時もなかなか帰らず、友だちと戯れていたし、楽しかったんだと思う」と語った。遠征の多かった桃田が寮に帰ってくると、食堂の雰囲気が変わった。「オーラがありましたね」。桃田の席は決まっており、世界大会での話をすれば後輩たちが遠くから聞き耳を立てていたという。

震災1カ月後の4月上旬、学校関係者がやって来て「部屋を貸してください」と言われた。援助もほとんどなかったが「生徒が頑張ってくれたらそれでいい」と承諾、赤字覚悟で二段ベッドを取り入れるなどして対応した。自身が日体大でスキーをやっていたことも生きた。「スポーツ選手はスタミナが必要。食事やメンタルのことは分かっていた」。米と野菜を自作していたため、1回4升の白飯や栄養のあるメニューを提供できた。バーベキューやクリスマス会も実施。大はしゃぎする桃田らの姿が印象に残っている。

賭博問題からの謹慎が明け、ロッジを訪れた桃田が「すみませんでした」と謝罪に来た。平山さんは「いいんだよ」と一言。心中を察し、多くを語らず、昼食に連れて行った。事故のことを知ってもメッセージを送るにとどめた。「どれくらいの衝撃だったか。焦らず体調を考えながらやって欲しい」と話す。

ふたば未来学園中学設立により、昨年3月末で猪苗代での受け入れは終了し、最後の寮生29人が退寮。8年間生徒を送り出してきた平山さんの役目は終わった。「本当に誰もいなくなったんだなあと」。卒業時、桃田は「これからも明るいニュースを伝えるので期待していてください」とメッセージを残した。桃田の言葉を信じ、今後も応援し続けている。