東日本大震災から9年…渡辺勇大と東野有紗、福島県富岡町から復興五輪の顔に/バドミントン

 東日本大震災から、11日で9年。当時通っていた福島県富岡町の富岡一中(現・ふたば未来学園中)で被災したバドミントン混合ダブルス世界ランキング4位の渡辺勇大(22)、東野有紗(23)=ともに日本ユニシス=組は、「復興五輪」を掲げる東京五輪で、同種目日本勢初のメダルを狙う。恩師の斎藤亘監督(47)が、震災当時を振り返りつつ、教え子にエールを送った。

 東日本大震災が発生した2011年3月11日午後2時46分。当時富岡一中1年の渡辺と同2年の東野は、中学にほど近い高台に位置する富岡高の体育館にいた。午前の卒業式で3年生を送り出し、年度末の全国大会に向け練習を始めたところだった。

 「2、3日前から震度4、5の地震が何度かあった。今回もそのうちのひとつかなと思ったけど、ちょっと違うぞと」

 中学生を指導していた斎藤監督は、大きな揺れを感じた当時の様子を振り返った。同監督は体育館にいた渡辺と東野ら生徒を速やかに校庭に避難させた。その直後、体育館の天井に設置された水銀灯が次々と落下した。地震がおさまると次第に空が暗くなり、ひょうが降ってきたという。「この世の終わり」(斎藤監督)。目の前の景色が一変した。

 津波は富岡一中の校庭まで押し寄せ、寮の食堂で一晩過ごした。翌12日には練習拠点だった体育館から北に約10キロにある福島第1原発の事故により、防災無線で避難指示が発令された。東野ら生徒は、保護者とともにそれぞれの地元に帰った。

 震災から2カ月後の5月。かつて避難場所として使われていた猪苗代町の町立体育館をバドミントン部の練習拠点として活動を再開した。練習時間が限られるなか、東野は同年の全国中学女子ダブルスで頂点に立った。

 「東野は肝心なところで自信がなくて勝てない選手だった。震災後はたくさんの人の支えがあった。自分ひとりで戦っているんじゃないという気持ちが、力はあるのに出せないというブレーキを外してくれた」と斎藤監督は精神面の成長を感じ取った。

 渡辺についても「『(地元の)東京に戻りたい』とよく親に泣き言を言っていたけど、震災後は自分の弱音を吐いていられる状況じゃなかった。福島でバドミントンをすることの意味を子供ながらに感じながら強くなっていった」と黙々と練習に打ち込む姿を目にしたという。

 震災を乗り越えた渡辺と東野は12年に初めてペアを組んだ。18年の全英オープンで日本勢で初めて優勝し、昨年の世界選手権で銅メダルを獲得した。東京五輪でも金メダルが期待される教え子に、斎藤監督は「世界で活躍してほしい」とエールを送った。

 「福島は第二の故郷。良い成績を残して、勇気とか夢とか希望を与えられれば」と渡辺。東野は「結果を残して福島の皆さまに恩返ししたいし、それしかできないと思う」と誓う。バドミントンができる感謝の気持ちを心に刻み、ふたりが復興五輪で輝く。