山口茜「明日もいい日に」故郷の夕日に金メダル誓う

引用元:日刊スポーツ
山口茜「明日もいい日に」故郷の夕日に金メダル誓う

<幻の20年夏>

バドミントン女子シングルス世界ランク3位の山口茜(23=再春館製薬所)は、オリンピック(五輪)への向き合い方が少し変わってきた。

五輪は他の国際大会の延長線上にあったはずが、延期によって意識に変化が表れつつある。いつも変わらないのは、生まれ育った福井・勝山市への愛。本来なら今日1日は、女子シングルス決勝の日だった。

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これまで山口は、五輪について「特別な意識はない」と位置づけてきた。今年の目標も当初は「楽しんでやれる1年にしたい」と話していたが、コロナ禍の影響で考え方に変化が生じた。延期決定後、メディア取材に「スポーツをやる意味をもっと追求し『ないといけないもの』となればいい。そういう意味で重要な位置付けになる」と答えた。

控えめな性格で、感情は表に出さない。それだけに、16年リオ五輪準々決勝で奥原希望に敗れて号泣し、周囲を驚かせた。現在も母校の勝山高校で指導する小林陽年監督が「本当に悔しかったんだと思う。大泣きでインタビューに答えるなんてびっくり」と話すほど。普段「金メダル」とも口にせず、内に秘める山口だったが、大好きな地元や支えてくれる人への強い思いに感極まった。

生まれ育った福井県北東部、人口約2万人の勝山市は1968年(昭43)福井国体がきっかけで競技が盛んになった。老若男女が楽しむ町で山口も自然に打ち込んでいった。世界で活躍するようになり、他県への進学を勧める指導者もいたが「勝山高校に行きます」と地元を選択。厳しい練習で追い込む他校は「私には無理」と迷いはなかった。

高3時、リオ五輪に向けた世界選手権を欠場し、インターハイに出場した。「一生で1回。出ないと勝山に残った意味がない」と仲間との最後の大会を優先。16年に完成した体育館「ジオアリーナ」には寄付金を贈った。今も後輩たちは、ここで汗を流している。

時間があれば母校を訪れ、同級生との集いを楽しむ。小林監督は「ゆるキャラのような感じ。いずれは地元に帰ってくるかもしれないですね」と教え子を見守る。高校時代ペアを組んだ鈴木咲貴(百十四銀行)は「勝っても負けても楽しくできたらそれが一番。金取った取らないでは(関係性は)変わらない」と言う。

23歳になった6月6日、ツイッターに画像をアップ。そこには命名した両親の思いが記されていた。「お天気の良い日の前の日には空がピンク色になり、夕焼けをみることができます。茜色の空が『明日もお天気だよ』と約束してくれるのです。明日もいい日になりますようにと、茜という名前にしました」。山口は「これからも名前に恥じぬよう。明日もいい日になりますように」とつぶやいた。

五輪出場は確実にしており、頂点へ向け、1歩ずつ淡々と歩みを進める。来年夏、山口は茜色の空を見上げた翌日、金色のメダルをかけ「特別な五輪」にする。【松熊洋介】

◆山口茜(やまぐち・あかね)1997年(平9)6月6日、福井県勝山市生まれ。3歳からバドミントンを始める。13年勝山高1年のヨネックスオープンでは、世界バドミントン連盟(BWF)スーパーシリーズ最年少制覇。世界ジュニア選手権金メダル。14年全日本選手権で初優勝。高校卒業後の18年に再春館製薬所入社。4月に世界ランキング1位となる。趣味は漫画を読むこと。156センチ。