タカマツペアのリオ五輪金メダルが、バドミントン強国への道を拓いた

タカマツペアのリオ五輪金メダルが、バドミントン強国への道を拓いた

PLAYBACK! オリンピック名勝負ーー蘇る記憶 第40回  

スポーツファンの興奮と感動を生み出す祭典・オリンピック。この連載では、テレビにかじりついて応援した、あの時の名シーン、名勝負を振り返ります。 

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 日本バドミントン女子ダブルスは、複数ペアが世界ランキングトップ10に入り続け、2012年ロンドン五輪で藤井瑞希・垣岩令佳組が銀メダルを獲得。以降も、14年、15年の世界選手権で異なるペアが銅メダルを獲るなど活躍した。それでも、中国の厚い壁をずっと崩せずにいた。

 そうした中、16年リオデジャネイロ五輪は大きな期待が寄せられる大会になった。前年の世界選手権3位の福万尚子・與猶くるみ組は僅差で出場権を獲得できず2ペア出場はならなかったが、高橋礼華・松友美佐紀組が世界ランキング1位で臨むことになったからだ。

 小学生時代から全国タイトルを獲得し、その高い技術が注目されていた松友は、中学3年の06年に40日間の中国合宿を経験。それを機に中国選手に対する「怖さ」も感じなくなり、「絶対勝ちたい」と思うようになった。宮城県にある強豪校・聖ウルスラ学院英智高に入学後は、1年秋から1学年上の高橋とダブルスを組んだ。高橋は松友についてこう話した。

「松友はもともとパワーがあるほうではなく、一方、私はスマッシュをガンガン打つタイプだったから、しっくりしてローテーションもうまくできた。私にないものを松友が持っていて、松友にないものを私が持っている感じでした」ふたりのペアは高校2年、3年と連続で全日本総合選手権3位になり、ダブルスでナショナルチーム入り。10年には高橋が先に加入していた日本ユニシスに入った松友は、当初はシングルスも並行してやっていたが、2年目からは高橋とのダブルスに専念することを決めた。

 12年ロンドン五輪は世界ランキング21位、日本勢4番手で出場には届かなかったが、藤井と垣岩の銀メダル獲得を見て、刺激を受け意識が一気に変わったという。

 松友は「すごいと思った反面、自分たちも藤井さんと垣岩さんのペアといい勝負ができるようになっていたので悔しかった」と語り、高橋は「メダルのチャンスがあると教えられ、私たちも次は絶対に出たいという思いが明確になった」と述べた。

 12年9月のインドネシアオープングランプリゴールドで優勝すると、10月のデンマークオープンではロンドン五輪優勝の田卿・趙蕓蕾組に勝って準優勝するなど、世界ランキングを10位に上げた。

 さらに14年5月、女子国別対抗戦のユーバー杯で、第1ダブルスとして6試合全勝でチーム準優勝に貢献。これで自信をつけると、その後も着実に結果を出し続けて10月には世界ランキングを1位とし、15年5月からのリオ五輪出場権を争う戦いにはランキング1位で臨んだ。その後、12月には一時4位まで落としたが、翌16年3月には再び1位に上げて第1シードでリオに挑むことになった。

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