タカマツ「最後の最後まで2人で」。東京五輪への挑戦はまだ終わらない。

引用元:Number Web
タカマツ「最後の最後まで2人で」。東京五輪への挑戦はまだ終わらない。

 会場を囲むように長い行列が続く。11月30日、師走が近づく駒沢オリンピック公園総合運動場体育館、バドミントンの日本一を決める全日本総合選手権。五輪前年の大会、しかも普段、世界ツアーを転戦する男子シングルスの桃田賢斗や女子シングルスの奥原希望らトップ選手たちのプレーを堪能できるとあってか、多くのファンが詰めかけていた。

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 各種目準決勝が行われたこの日は、第1試合から注目カードが目白押しだ。

 女子ダブルス準決勝第1試合はリオ五輪金メダリストの高橋礼華・松友美佐紀ペアと世界選手権2連覇中の永原和可那・松本麻佑ペア、世界トップランカーとして活躍する2組の対戦となった。2組が姿を現すと、会場は大きな歓声に包まれた。

「悔しいよりもほっとした」
 高橋・松友ペアは、永原・松本ペアの170cmを超える長身からの圧倒的な攻撃力を前に第1ゲームを11-21で落とす。第2ゲームに入ると流れは変わり高橋・松友ペアがリードする。しかし、「相手が前に前に来ているところに(球を)落としてしまったのが敗因。もう少ししっかりと相手を見てプレーできていたらよかったです」(高橋)と、永原と松本の怒涛の攻撃で20-22と逆転負け。ゲームカウント0-2で50分に及ぶ試合に終止符が打たれた。

 「やっと終わった……」

 逆転負けを喫したが、高橋の胸の内には全日本総合を戦い抜いた安堵感があった。

 「優勝とか、勝っていくというよりも、本当に毎日、毎日、きついものを抱えながらやっていたので。正直悔しいというよりは、ほっとしたというか、怪我なく終われてよかったなという気持ちが一番にありました」

「この大会に成長させてもらった」
 ふたりがペアを結成したのは、松友が宮城県・聖ウルスラ学院英智高校に入学して半年ほど経ってからの2007年秋。翌年には高校選抜で優勝し、インターハイでも頂点に立った。さらに同年初出場した全日本総合選手権でもいきなりベスト4入りを果たした。全日本総合選手権には12年連続で出場。そのうち5度日本一に輝いた。

 「最初に優勝したとき、自分たちはナショナルに入って年齢も実力も一番下で。先輩たちに勝って優勝したいという気持ちでずっとやってきました。ただ、自分たちが上になって追われる立場になった時、戸惑った部分や、リオ五輪で金メダルを獲って気持ちが上がらない部分もありました。今、振り返ると、自分の中では五輪以上に全日本総合で初めて優勝したことが人生の中でも忘れられない試合になっていますし、この大会で自分たちは成長させてもらったなと思います」(高橋)

 「高校生の頃から10年以上、2人で全日本総合に出続けてきました。そんなペアは他にはいないと思いますし、常に優勝を期待され続けてきましたが、長い間、こうしてベスト4まで勝ち続けられている選手もなかなかいないと思います」(松友)