「どこで試合してるか分からなかったよー」奥原希望、バドミントン界の危機を感じた友人の一言

引用元:REAL SPORTS
「どこで試合してるか分からなかったよー」奥原希望、バドミントン界の危機を感じた友人の一言

2016年、リオデジャネイロオリンピックで日本人初となるバドミントン・女子シングルスでの銅メダルを獲得した奥原希望。2019年1月には太陽ホールディングスと所属契約、実業団が主体のバドミントン界では異例、初の完全プロ宣言を行い、新たなキャリアを築いている。

本来ならば東京オリンピックが行われていたはずの2020年を前にプロ宣言をした理由、東京以降のキャリア展望は? 奥原希望の“BEYOND2020”について聞いた。

(インタビュー・構成=大塚一樹[REAL SPORTS編集部]、撮影=軍記ひろし)

金メダルのために「レベルアップの時間」をつくりたかった

「もちろん大きな理由の一つは東京で金メダルを取るためです」

リオデジャネイロオリンピックの銅メダリスト、奥原希望は2018年12月、それまで所属していた日本ユニシスを退社、翌年の1月にはプロとしての活動を開始した。理由の一つは地元開催のオリンピックで金メダルを取るため。

「環境を整えたかったというのはあります。代表としての活動、実業団の試合と連戦が続く中で、体のケアで精いっぱい。金メダルを目指す上で、自分のレベルを上げるためのトレーニングが十分にできないことに不安がありました」

実業団主体で個別に強化されてきた日本のバドミントン界は、近年、日本代表の強化合宿、ナショナルチームとしての国際試合転戦で大きな結果を得てきた。日本代表の活動は年間250日にも及び、トップ選手のスケジュールには国内の大会、実業団のリーグ戦が加わる。

「本当に休みがないんです。海外の選手は国際大会のない期間を休養に充てたり、足りない部分を補強するトレーニングを積んだりしています。金メダルへの差を埋めるためには、練習に費やす時間を持たないとダメだというのがあって」

加えて奥原は、高校3年生のときに左ひざ半月板を損傷、復帰後には右ひざも痛め、若くして両ひざを手術している。リオ後にも右肩と右ひざのケガを抱え、不本意な欠場も経験している。

「シーズンをフルに戦うことでまずケガのリスクが伴う。ケガのことを気にしていると、自分のプレーレベルをもうワンステージ、ツーステージ上げたいという時に、やっぱり上げられることができないんです。ケガをしないようにケアしているうちに、現状維持が精いっぱいになってしまう環境を変えたかった」次ページは:プロになって、支えてくれる人との関係がより深まった

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